もしも、なんてくだらない話と思うかもしれないけれど。

そう、もし。

もし、あなたの生きる時代が違えたならば。


その優しさが、それほどあなたを傷付けることもなかったんじゃないかって。


ねぇ、だって。


人を殺めるその人は。

壊れてしまいそうなくらい、優しい人だったから。





influenced with you






「…ちょっと、買いすぎたかしら」


心地の良い、昼下がり。
夏より大分と涼しくなった、高く晴れ渡る空の下で。
巴は両の手に抱える荷物の重さに、思わず声を漏らした。
安売りだと声をあげる店の主人につられ、あれもこれもと手に取って しまった。
初物も多いし、作るからにはやはり美味しいものを食べてもらいたい。
そう思った結果だけれど、これではまるで金銭感覚のない女だと 思われるだろうか。


「やっぱり買いすぎね…」


今度からは気をつけなければ、と刻々重さを増すように感じる食料を 抱えなおす。
とにかく、待ち合わせをしているところまでは何としても運ばなくては。
気合いを入れて、賑わう通りを歩き出す。
そこへ。


「巴さん」


程なくして、後ろからかけられた声。
振り返った先には、待ち合わせ先にいる、ここにはいないはずの人。


「緋村、さん」


巴の、感情が伝わりにくい瞳が少しだけ開く。
何故ここに、と問うまでに、彼女の腕の中から重みが消えた。


「買い物はこれで全部ですか?」


細い腕が軽々と荷物を抱えて、微かな微笑みで巴を捉える。
当たり前のように振る舞う彼に腕を降ろすタイミングを逃して、訳もなく両の手 を胸元で合わせた。


「あ、えぇ。ごめんなさい、買いすぎてしまって…重たいでしょう?」

「これくらい大丈夫。でも、こんなにあるならついて歩けば良かったかな」


軽く笑いながら歩き出す彼に一拍遅れて、歩を合わせた。
人混みの中でも彼を追いかけることのない、早すぎないそのスピードに胸が 苦しくなる。





当たり前のように与えられる、優しさ。



それは小萩屋にいる時から気付いていた。
想像していた悪鬼には似つかわしくなくて、知れば知るほど、人斬りの姿が 霞んでゆく。


貴方は誰なの。
何度、問い掛けようとしたことか。


私の幸せを奪った、憎まずにはいられなかった敵は、どこへ行ったの。


人を斬ることなく、山中の小さな小屋で暮らし始めて。
はにかむように、よく笑うようになった貴方。
以前の、京の闇に溶けては血の匂いを纏って、狂に囚われぬようもがき苦しみ、 心を歪める貴方。


思えば、出会った時から私は貴方の優しさに触れて。


どうして、誰よりも優しい貴方が。
誰よりも似合わぬことをして。

例えその先に素晴らしい未来があっても、貴方は一生今の罪を背負って ゆくのでしょう?
消えない傷が疼いて、痛くて悲鳴をあげても、それでも貴方は―――





「…さん!巴さん!」


呼ばれた声に、知らず俯いていた顔を上げた。
目前に迫る彼の顔に、現実に引き戻される。


「ごめん。早く歩いたつもりはなかったんだけど、はぐれてしまって…」

「…あ。ごめんなさい、私…」


思考に引きずられて、往来にいることも忘れて立ちすくんでいた。
心配を顔に書いたような表情の彼が、巴が言葉を発したことで少し、その 雰囲気を和らげた。

けれど。


「茶屋にでも入って、少し休憩しようか」

微笑む瞳が、僅かに揺れてみえるのは気のせいではない。

「…いえ、大丈夫。考え事をしていたら、少しぼーっとしてしまっただけ ですから」

これ以上心配させないように少し笑ってみたつもりだけれど、伝わった様子は なく。
「本当に?」と念を押す彼にうなづいて、今度はもう少し、口角をあげてみた。
すると彼は同じように、けれどずっともっと自然に笑みを浮かべて。


「じゃあ…」


両手で抱えていた荷物を片手に持ち直し、空いた手が巴の手を取る。


「これでもうはぐれない」


秋風が彼の髪を靡かせる。
微笑む顔は少し照れを含んだように朱に染まり。


指先から伝わる体温に、優しさに、憎しみなどわくはずもない。


「荷物、こちらにも少し分けて下さいな」



小さく深呼吸をして彼に向き合う。

ただ、胸の奥が軋んで壊れそうだと、思った。








『最愛の貴方へ』 06. 誰よりも優しいから
初出20090319 / 修正・再掲20110103